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大王わさび農場


(2009年12月26日最終更新)

概要

観光地としての安曇野は、「大王わさび農場」という、観光わさび農園を中心に形成されています。わさび農場そのものは、普通の民間経営の会社ですが、素晴らしい点を5つ。

@サイクリングコースのゴール。駅からのサイクリングコースとして、ちょうど良い距離になっていて、周囲の日本アルプスを見ながら、田んぼの間を走り、道祖神をたくさん見る、という素晴らしいコースとなっている。
A美しいわさび農園。綺麗な土と水がないと育たない、わさび畑自体が、美しい。
Bわさび直販、わさびコロッケ、わさびソフトクリーム
C黒澤明監督「夢」のロケ地となった水車小屋。被写体としても最高。
D「大王」の由来。先住民が大和朝廷に滅ぼされた歴史のロマン。大王とは、住民に愛された、中央から派遣された坂上田村麻呂将軍に滅ぼされた豪族のことです。

穂高駅をおりて、最初に驚いたのが、レンタサイクルの呼び込みをやっていること。私のときは2軒だけでしたが、レンタサイクル屋としては4軒あるそうです。このエリアのサイクリングの魅力が高い証拠。レンタサイクル屋「しなの庵」には宿の紹介とか、お世話になりました。




アクセス


長野県穂高駅からレンタサイクルでゆっくりいって30分ぐらい。

写真


穂高駅からすぐの穂高神社。御船祭で使われる船です。なぜ船かというと、海から来た一族の神様だから。
安曇野という地名は、安曇族から来ていて、安曇族は海神(わたつみ)系の一族で、北九州から川を上ってここまで来て、住み着きました。大和朝廷に追われてここまで来た、ということになっているのですが、この地方を治めたということは、財力と技術があったということで、「追い立てられて」というよりも、蝦夷への防御線としてここに封じられた、という理解の方が正しいような気がします。
( 2009年11月 )

穂高神社の御神馬。ここだけじゃなくて、長野県全般で、神馬の雰囲気が他のエリアとちょっと違うように感じました。魂が入っているというか。
( 2009年11月 )

これは穂高町役場のもの。このあたりは、「双体道祖神」と呼ばれる道祖神が非常に多く、全国で一番多いエリアです。穂高周辺だけでも130体ぐらいあります。
道祖神が多い理由の一つに、材料となる加工しやすい石がこの地方でとれたことが挙げられます。
着色されているものも多く、お祭りで子供が塗ることになっていたりします。
( 2009年11月 )

こちらは農園近くの「水色の時」道祖神。
大竹しのぶ(当時18歳)が主演したNHK朝のテレビ小説「水色の時」のために作られた道祖神だそうです。こういうの、そのNHKのテレビ小説がどういう内容で、この道祖神がどういう役割だったかとか、観光資源と思うならちゃんとアピールすればいいのに。
( 2009年11月 )

これは大王わさび農園の中の道祖神。口紅ぬってます。
( 2009年11月 )

大王わさび農園は、広大なわさび農場で、農場内を全部散策しようと思うと1時間以上かかります。観光バスでじゃんじゃん人が来るのですが、きれいな土と水を必要とするわさび農園は、とても美しいので、観光客もゴミを投げたりしないんですね。
( 2009年11月 )

大正時代、近くの集落の深沢勇一氏が、不毛の湿地地帯をわさび農場に転換し、大王わさび農園を設立しました。「安曇野わさび農園」ではなく、「大王わさび農園」と名前をつけたのは、きっと、郷土に根ざした企業にする、という思いが込められていたんじゃないかと想像します。
( 2009年11月 )

今から1200年前ぐらいの西暦800年頃、安曇平野で栄えた豪族が「魏石鬼八面大王」です。この大王を祀ったのが、わさび農場の中にある、小さいですが「大王神社」。観光客は見向きもしませんが、石組の仕方を見ると、普通の神社と全然違う。縄文の匂いがするというか、古くからのものです。わさび農場を造成する際、元あったところから、ここに移設されました。
( 2009年11月 )

桓武天皇の時代、信濃を足がかりに東北を制圧するために中央から派遣された坂上田村麻呂将軍に、滅ぼされたわけですが、大王はあまりにも強かったので、復活を恐れ、遺骸をバラバラにし、ここ大王神社に胴体を埋めた、ということになっています。
( 2009年11月 )

この手の中央から征服された地元の豪族は、たいていの場合「鬼」にされ、悪行非道の限りを尽くしたから、住民を助けるために成敗してあげた、と歴史が書き換えられます。しかし、住民から愛された「鬼」は、今でも、その名残を残していることがあります。ここもそうで、中央政権の搾取に、正義の味方が抵抗した、という雰囲気です。
( 2009年11月 )

穂高駅から自転車で行くと1時間ぐらいのところにある、「穂高郷土資料館」に転がってたもの。「ひゃくまんべえ」と呼ばれるもので、賽の神の一種でしょうか。疫病払いのために、親が人形を作って、子供に持たせて、集落の境に立てる、とのこと。この風習は山間の集落にしかなかったようです。
なんで「ひゃくまんべえ」なんだろう。浄土宗の「百万遍」から来てるのかな。
( 2009年11月 )

駅から自転車でいくと、結構きつい坂を上る有明山神社。
( 2009年11月 )

( 2009年11月 )

蛇。
( 2009年11月 )

陽石かな。
( 2009年11月 )

まだ有明山神社。このふくよかな女性?は誰だろう。上は、たぶん、船で安曇族が来たところ。
( 2009年11月 )

有明山神社近くの正福寺の山門ちかくのお地蔵さん。
( 2009年11月 )

( 2009年11月 )

ここが、「魏石鬼の岩屋」。魏石鬼八面大王が死んだ場所。古墳でもあります。
魏石鬼八面大王は、山鳥の三十三斑の尾羽で作った矢で倒された、という事になっているのですが、どういう意味だろう。
ここもそうですが、「岩屋」と呼ばれている場所は、征服者が来る前からの神様が祀られていて、その後、山岳信仰の聖地となって、他の場所とは全く異質なまま残っている場合が多いです。
正福寺からこの岩屋まで、歩いて20分ぐらいですが、小さな石仏がたくさんあって、素敵な山道です。
( 2009年11月 )

サイクリングコースの景色。信仰が豊かな地域の条件はいくつかありますが、まわりの自然に、神を感じるか、というのがひとつの条件です。ここは山の神様に見守られている、という雰囲気がする。
( 2009年11月 )

「千度参り」の石がほとんどの神社にあります。
( 2009年11月 )




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