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四国遍路物語 − 第一部 「薫の葉書」から −



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■ 山頭火を体験する旅2001年3月21日

二週間程費やして四国八十八札所の第一番霊山寺(りょうぜんじ)から第二十七番神峰寺(こうのみねじ)を歩いてきました。自力修行の霊場巡拝という気負いではなく、春の風と山頭火の俳句に誘われて「分け入っても分け入っても青い山」放浪の旅の真似事をしてみたかったのです。札所のお寺ごとに納経するという一応の外見的目的が設定されており、遍路の姿であれば誰でも受け入れてくれる安全で快適で安価な宿が保証され、自分の家族からさえ合法的に行方不明になれる、漂泊のインフラが整備されている点で素晴らしいことでした。

峠越えの山中の大雪、菜の花が咲く田園の春の陽光、ジョウビタキと連れ立ってゆくのどかなバードウオッチングの時間、海岸通りの冷めたい雨の一日、登校拒否の中学生、卒業イベントの女子大生、為すことを見出せない青年、サラリーマン−の定年退職記念行事、家を出てきた七十代の男性、健脚自慢のウオーカー、真剣な求道者、遍路の道にそって人生の路を探す正統派、熱心に布教する仏教者、役小角(えんのおずぬ)の跡を慕う修験者、路傍にある十個百円の甘い良心ミカン、様々にいただくお接待、話好きで面倒見のよい民宿のおかみさん。誰もがあてはまる自分再発見の旅。
娑婆の自分に対する執着への、十人十色の態度=超える、忘れる、捨てる、逃れる、求める、探す、気付きさえしない、などなど。
毎日毎日新しい出合いがやってきて、いつもすぐに過ぎていきました。
もちろんご修行中の若き弘法大師とのご面会はかないませんでしたが、南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ=弘法大師に帰依します)のご宝号(ホウゴウ)は霊験あらたかであって、無事故無事件で、一時の山頭火もどきの気分の旅を与えてくださいました。

山頭火についてもっと知りたい方は
『山頭火句集』を御覧下さい。


■ 同行二人(どうぎょうににん)のありがたさ2001年8月3日

なつの四国
ゆくえさだめず
ぼんのうをみちずれに
[ 作:貴山薫 ]

み親を知れるその日より
なぜか心はときめきて
仮の住家(すみか)の憂き世にも
悦びわくを覚えたり
我は一人の旅ならず
み親は常にましまして
闇路(やみじ)はるかに照らしつつ
行く手をとわに守(も)りたもう
南無大師遍照尊(なむだいしへんじょうそん)
[ 高野山金剛流御詠歌『法悦歓喜のご和讃』より ]

「み親」とはすべての人間の親として、慈しんでくださる弘法大師のことを指します。南無大師遍照尊(なむだいしへんじょうそん)は、すべての世界を遍く知恵の光で照らし出す尊いお方である、弘法大師に帰依します、という意味です。


■ 捨ててこそ生きいられる旅2001年8月25日

一切を捨ててわずかな身の回りの品だけを残して歩く路は、だからこそ得られる様々なご縁に恵まれ、ご縁の「おかげさま」で生かされていることを知らされます。それはすなわち釈尊が説かれた因縁生起(いんねんしょうき)の真実なのです。弘法大師の残された修行の路は、捨ててこそ生きる人生の旅路を教えてくれます。精神的にも物質的にもあまりにも持ち過ぎている現代の私の生活でそれは出来ることなのでしょうか。
山頭火と同時代の尾崎放哉(ほうさい)の俳句にあらためて共感します。

にくい顔おもいだし石ころを蹴る
人をそしる心を捨てて豆の皮をむく
こんなよい月を一人で見て寝る
いれものがない両手で受ける
咳をしても一人

因縁生起(いんねんしょうき)とは、すべてのモノ・コトは原因があり条件があって、生まれたり起ったり消滅したりしているのであって、自分勝手に存在してはいるのではない、という仏教の教えです。

かたよらない心こだわらない心とらわれない心ひろくひろくもっとひろくそれが般若心経空の心なり
[ 奈良・薬師寺 ]

尾崎放哉についてもっと知りたい方は
『放哉という男』(著:荻原井泉水)を御覧下さい。


■ 冬やすみ阿弥陀さまとお四国さん2001年12月13日

『ともかくもあなた任せの年の暮れ』

江戸時代の俳人、小林一茶、57才の作品です。『あなた任せ』とは、『阿弥陀如来に一切お任せする他力本願』と解説されています(岩波文庫「父の終焉日記・おらが春」)。
阿弥陀如来は人々が地獄、餓鬼、畜生、修羅の苦界をさまよう姿を哀れみ、浄土へ生まれかわれるように誓願し、成就しました。人々を救うその働きを「他力」といいます。自己中心的な欲望にまみれた私を反省し、阿弥陀如来の誓願の船に乗せてもらうことが「他力本願」です。「棚からぼた餅」とはだいぶ違いますのでご注意。
今年一年を振り返ってみると色々あったようだけれども、結局は阿弥陀如来のお救いによって生かされているようだ。来年もすべて阿弥陀さまにお任せして、心やすらかに新年を迎えようじゃないか、という趣旨の句でしょう。『春風や牛に引かれて善光寺』も有名です(同文庫)。

貴山薫においては
『冬やすみ阿弥陀さまとお四国さん』

四国八十八の札所を巡る今年三回目の漂泊の旅に出ています。歩いて遍路する巡礼は『お四国さん』と呼ばれます。「お四国さんチョット休んでらっしゃい」「お四国さんコノみかんお持ちなさい」など。
弘法大師に呼び寄せられて、阿弥陀如来と同行二人。今回は松山から歩き始めて行けるところまで。野も山も川も街も村も、暦も自分も越えて、どこまでいけるでしょうか。

他力本願についてもっと知りたい方は
『歎異抄』(著:梅原猛)または『歎異抄』(著:金子大栄)を御覧下さい。


■ 遍路に心の準備ができると仏菩薩があらわれる2002年1月24日

冬の遍路道には仏、菩薩が満ち満ちていました。
仏とは人生と世界の真理を覚った人、悩める衆生を無条件で救いとり、智慧の光と無限の生命を与える存在です。菩薩とはその修行者、ひたすら他人の幸せを願うことにより、仏となる道を歩みます。
遍路に心の準備ができると仏、菩薩があらわれるのです。
野宿で旅する人に「通夜堂(つやどう)」という名の無料宿泊所を設置するお寺さん。誰でも泊れるように村の大師堂を開放して、清掃し、布団を乾かすご近所の人、山越えの歩き遍路しか通らない峠の登り口の家で待ち構えていて、道順を教え、茶菓を供し、手作りの守り袋を与えて送りだす老婦人と息子。道を間違えて困っている時にどこからともなくあらわれる地元の人。などなど。単なる親切心や善意では理解しきれない不思議な働きが、毎日のように次から次へとあらわれるのです。

昨年三月の初めての四国は、山頭火に会う『分け入っても分け入っても青い山』の漂泊の旅。炎天下の八月は自分を捨てて捨てて捨て抜いた時にこそ歩き続けられる『捨ててこそ』の旅。今回は真直ぐに仏、菩薩を感じる旅でした。私の浅い知恵による理解を越えた大きな力によって守られている有り難さを実感しました。

「弟子に心の準備ができると師匠があらわれる」という言葉もあります。


■ お遍路とは何か2002年1月31日

「薫の葉書」読者の方から「お遍路とはなにか」という質問がありました。

お遍路って何か、それは今のところ私にも分かりません。もちろん一言では言い尽くせません。でも何か心ひかれるのです。
そう、心がひかれるのです。
だから、行ってみました。ますますひかれます。いつも新しい発見が沢山あります。
自分の発見。心の発見。
いまその軌跡をたどたどしく綴っているところです。


■ いま仏さまがおわしますお寺2002年1月31日

今現在、仏さまが現れているのではないか、というお寺をご紹介します。
邦治山(ほうちさん) 常福寺(じょうふくじ) 通称椿堂(つばきどう)
愛媛県川之江市。真言宗高野派。八十八札所には含まれない小規模なお寺。
こちらの通夜堂(無料宿泊所)は無条件で旅人を受け入れるだけでなく、相手の困窮状態によっては食事の支給からお風呂まで接待されるようです。貴山の場合には、近隣に宿がないので宿泊のみお願いしましたが、その夜読んだ「椿堂日誌」に感動しました。どこにでも見られるような、利用者が記入する大学ノートですが、記された内容が素晴らしいんです。

ここは六十六番札所の手前ですから、一ヶ月以上歩かないとたどり着けません。ここまでくる遍路は物見遊山気分ではなくて本物の求道者です。宿のみつけ方や野宿にも慣れています。そんな人たちが、雨の夜、行きどころがなくて思わず叩いたお寺の門が、そのまま温かい食事とお風呂とこたつとお布団につながっていた、地獄で仏に会った、というような話。人間というものを信じ、自分の心を取り直し、再び人生の遍路道を歩いてゆく勇気をもらった、このお寺でのそんな体験談がギッシリと詰まっています。その中に8月に高知の山中で知り合った青年の名前もありました。彼の暗い眼にも少し光を取り戻したようで、ほっとしました。

若いご住職と奥様は、仏教の理論を説くとか、朝の勤行に参加させるとかいうことでなく、いま相手にとって必要な救済策を講じられます。そのような「行動を通じて慈悲の心を示す」為に浄土からあらわれた仏さまのようなお方なのでしょう。もし人生の道を求めて遍路するならば、椿堂を訪問してご住職夫妻の人間性に触れ、「椿堂日誌」を熟読するようお勧めします。


■ 家出してきた若い女性遍路2002年2月7日

足摺岬に近い民宿のおかみさんから聴いた、家出してきた若い女性遍路のお話しを2つご紹介します。

秋に若い女性一人歩きの遍路が泊まった。なにかモジモジしているので夕食後にお茶とお菓子をすすめた。もうお金がないという。もっと聞いたら、夫との関係がうまくいかずに飛び出してきたとのこと。ちょうど知り合いのミカン農家がアルバイトを探していたので紹介し、この家から通わせた。二ヶ月働いて若干の蓄えにもなったので再び旅立っていった。その女性から年末に電話が来た。自分のわがままに気付いて家へかえって詫びた。夫は何も聞かず、ただやさしかった。

十二月に若い女性遍路が玄関をあけた。道路向いのバス待合所(屋根もドアもある)に泊まりたいのでトイレと水道を使わせて欲しいとのこと。なにか気になるので接待として家へ泊まらせた。他の客もあるから風呂はわいているし、食事は有り合わせで、布団も部屋もいくらでもあるし、といったらボロボロ泣いた。あまり話はせずに翌日出発した。住所に年賀状を出しておいたら、正月の数日後に電話があった。その女性の夫だと名乗った。妻が家出したので探しているという。
「あんた(貴山のこと)それらしい人を見かけたら、ご主人が探していると伝えてね」

貴山は、この民宿のおかみさんは菩薩だと思います。人の辛さを共有し、人の喜びを自分の喜びとし、人の幸せに自分も幸せになる、そんな人が菩薩です。こんな実在の菩薩に触れることが貴山薫の修行です。


■ 老人の男性一人歩き遍路2002年2月14日

四万十川に近い旧街道筋を歩いている時、村の酒屋の奥さんが「休んでらっしゃい」と声をかけてくれました。お天気だけど風の強い日で、日溜まりのお接待はとても有り難いのです。そこで教えてもらった話。

店の前のスクールバスの待合所に、老人の男性一人歩き遍路が数日間寝泊まりした。学校が始まるので村びとが警察に言って立ち退かせた。警察は施設に収容しようとしたが、老人はそれを断り、村を出ていった。スクールバスの待合所はとても居心地がよかったはずだ。屋根もドアもあるチョットした小屋だし、トイレと水はうちを使い、食べ物と酒も買える。テントや寝袋は手押し車に積んである。困らない。警察が紹介する施設にはいれば酒が制約される。老人はアル中である。アル中老人遍路は施設に入るよりも村を出ていく方を選んだ。

それは3日前のことだと聞き、貴山は老人に会いたいと言いました。遍路の源流の一つに、不治の病に犯された患者が人の情けにすがりながら遍路し、いつかお大師さんに抱かれて路傍に生涯を終えていく姿があると聞きました。村を出ていく老人の後ろ姿が、その不治の病の患者に重なり、また同時に、前世の貴山薫であり、将来の貴山薫でもあるような気がしたのです。
酒屋のおかみさんは頷いてくれました。自分はそういう人を何人も見てきた。早く追いなさい。酒臭い息で漏らす言葉を聞きなさい、と。

残念ながら老人には会えませんでしたが、酒屋の奥さんもまた、菩薩だろうと思いました。行くところも、帰るところも、いるところもなく、ただ歩くだけの遍路を見守る菩薩に違いないと思いました。その老人アル中一人歩き遍路は明日の私かもしれないのです。


■ 少年の姿をかりて現れた仏さま2002年2月21日

高知県宿毛(すくも)市の郊外で出会った10才ぐらいの少年との会話です。

貴山:こんにちは
少年:(しらんかお)
貴山:おはよう
少年:四国(遍路のこと)はどうしてそんな変な格好しているんだ
貴山:これはお寺詣りの服装なんだけれど
少年:お寺なら自分ちの寺へ行けばいい、その棒はなんだ
貴山:これは金剛杖といって山登りもするから必要なんだ
少年:なんで笠をかぶっている
貴山:雨も雪も降るし、日射しも強い
少年:そんなら普通の傘をさせばいい
貴山:風が強いと飛ばされるから、こうやって首に結ぶのさ
少年:首が痛いだろう
貴山:(困った)
少年:四国はなあ、もっと普通の格好をしていけ

私は少年との会話を発展させられずに、じゃあ元気でね、といってスゴスゴとその場を去りました。そして半日程はウジウジと少年との会話を反すうして考えるのです。今までに遍路との間に何かトラブルがあったのだろうとか、親が遍路嫌いで家庭で悪口が出るのだろう、とか。
そして夕方近くになってようやく気付きます。
そうか、これもまた仏が姿を変えて私の前に現れたのだと。
歩き遍路は確かにハードワークですから、自分の中に充実感が溢れるし、周囲の人たちも大事にしてくれます。ともすると自己中心的に思い上がる気持ちが生まれます。仏は少年の姿と声をかりてわざわざ現れ、私の慢心の気持ちを指摘してくれたのです。


■ 山頭火と菩薩に会えるまち〜長尾町2002年2月28日

「香川県大川郡長尾町」は自由律俳句の巨人、種田山頭火と菩薩に会えるところです。

長尾町には八十八札所のうち、八十七番長尾寺(ながおじ)と八十八番大窪寺(おおくぼじ)があります。一ヶ月以上歩いた四国一周の遍路道がここで終わるのです。また昭和3年と15年の二回、山頭火がこの地を放浪して俳句をよみました。そこで地元では、町中に山頭火の句碑を建て、文化の香り高い遍路道にしようとしています。句碑の建立は篤志家の手で行われて、すでに八十三号を数え、それらを紹介した「山頭火句碑集」も発行しています。
そのうち浄土真宗の宗林寺は自ら「俳諧の寺」と称し、境内には山頭火中心に尾崎放哉など様々な俳人の句碑をすでに五十号建てています。なかでも傑作は山頭火作の有名な「うどん供えて母よわたしもいただきまする」。これは、若くして自邸内の井戸に飛びおり自殺した母親の命日に作られた句ですが、讃岐うどんの産地に建てられたことに縁を感じるのは心酔者の思い過ぎでしょうか。
また長尾町には四国で唯一の「おへんろ交流サロン」が設置されています。
フィニッシュの八十八番大窪寺(おおくぼじ)まであと数キロの湖畔に、遍路の歴史資料と巨大な四国の模型が展示されています。私はここで茶菓の接待を受けながら、心ゆくまで歩いてきた道を振り返ります。
来てよかったな。歩いてよかったな。言葉はそれだけで、あとは人の顔、笑った顔、怒った顔、そ知らぬ顔。山、川、森、水田、畑、草。お寺、農家、民宿、橋。様々な光景が浮かんでは消えて、アットいう間に一時間が経ちます。
「おへんろ交流サロン」の責任者が木村照一さん。遍路と山頭火の生き字引です。のべ五十日かけて歩いてきた遍路への、四国全体の労いの気持ちを、長尾町と木村さんが示してくれます。遍路と山頭火で町興し、という枠には納まらない、町全体の菩薩行なのでした。


■ 遍路道の Buddha in you2002年3月28日

春夏冬の3回、のべ50日を歩いた四国の遍路道は、仏、菩薩に出会う旅でした。ニューヨークや東京で何があろうと、会社や学校でどんな事件が起ろうと、街で辛い目に遭おうと、大切な人に悲しいことあろうと、四国の遍路道にはいつでも、仏、菩薩がおいでになります。
仏とは世界と人生の真理を覚り、悩める衆生をすくいとってくれる存在。
菩薩とは人の苦を自分の苦とし、人の幸せを自らの喜びとする修行者。
弘法大師が万人の幸せを願って開かれた八十八の神聖な道場。
雨の日も風の日も、千二百キロの道のりを歩んだ何百万人の行者の祈り。
何代にも何代にもわたって見守り続けてきた地元の人達の慈しみの眼差し。
すべての執着を投げ打ってそこに身を置けば、たちまちのうちに仏、菩薩が現れるのです。

釈尊の臨終の様子を物語った「大般涅槃経(だいはつねはんきょう)」という経典に、
「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」と説かれています。
生きとし生ける者は誰でも仏になれる、という意味です。
四国の遍路道を歩いてゆくとき、すでに仏、菩薩になられている方々との出会いを通じて、私も、自分の中の「仏性(ぶっしょう)」を見い出してゆけるのです。

それがこのホームページのタイトル Buddha in you でもあるのです。




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