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四国遍路物語 − 第二部 歩きかたガイド −



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■ 冬が最適シーズン

春秋は気候温暖風光明美ではありますが、どこへいっても満員、混雑で落ち着きません。お寺の納経所は行列、ようやくとれた宿は相部屋。貴重な時間を都会の喧噪と人間関係の煩わしさから離れ、自分の脚でお寺を巡りながら人生を見直したい、という向きにはノイズが多過ぎです。
夏は空いているのですが、40度の炎天下を毎日歩くのは過酷で、逃げようもありません。ある程度の苦行覚悟派には向くのですが、普通には体力の消耗が先に来てしまいます。
意外ですが、冬が最適です。11月下旬から1月中旬までは天候もよく、じっとしていると寒くても歩くと汗ばむくらいです。桜も新緑も紅葉もありませんから気が散りません。歩き遍路は求道者だけとなり、空いている民宿も筋金入りのお遍路大好き人生劇場派ばかり。お接待もズッと好意的。密度の濃い交流になります。


■ ときには乗り物を上手に利用

遍路の道順に並行して、あるいは迂回して、鉄道や路線バスが走っています。
高い山にはロープウェーがあります。電話と道路があればタクシーが来てくれます。
私も何回かお世話になりました。大雨の国道で延々とダンプカーに追われるとき、バスに乗りました。丁度の距離に宿をとれず、一日の歩行距離が自分の体力をこえるとき、一部区間を鉄道に乗りました。登り3時間の山上のお寺から下山する際に昨夜の雪で路面が凍結していて危険なのでロープウェーで降りました。もうそろそろ暗くなるという時刻に、宿までまだ10キロあり道も分からないとき、タクシーを呼びました。お寺詣りの旅の趣旨を損なわない程度で乗り物のお世話になると、グンと日程が組みやすくなります。
体力脚力に不安な人が、徒歩+鉄道+バスでお遍路するのもなかなかいいものです。


■ スケジュールに余裕をもって様々に交流

遍路とは道を求める「旅」そのものです。八十八の札所を回り終わったら何かがある、ということであれば、ひたすら早く回ればいいのですが、そうではありません。弘法大師を慕いそのご修行の跡を訪ねていく途中で、仏や菩薩や悪魔や鬼や、様々な森羅万象に出会い、自分の人生を振り返り、行く末を案じ、これからの生きる道を求める旅です。出合いはいつも前触れもなく突然やってきます。先を急ぎますので、と言ってしまったら仏も菩薩も消えてしまいます。実り多い出会いのためには時間的余裕が必要です。経験的に一日の行動可能時間は10時間ですから、計画は8時間にしておきましょう。残りの2時間を、仏や菩薩やその仮の姿との応対に充てましょう。


■ 予定通りにいかないことも、すべてがご縁である実感

よく道を間違えます。でもそのせいで、道を教えてくれたり、送ってくれたりする人の親切が身にしみます。優しくされた幸福感に浸れます。
宿が満員で相部屋になります。でもそのせいで、足に出来たマメの治療法を教えて貰えます。
この道は起伏のない平らな道だと思っていたら、登り下りが多くてキツイ山道でした。でもそのせいで、ヤマユリの大群落を見つけました。
多くのお寺さんは遍路の扱いが事務的です。歩き遍路はご苦労さんですね、あがって少し休んでらっしゃい、なんて言いません。でもそのせいで、弘法大師もこうやって足をひきづって歩いたんだろうな、と同行二人を確かめられます。
人生を振り返ってみると、予定通り計画通り「ではない」ことが多いですよね。人生の道も遍路の道も、それも何かのご縁と思い、そこで結ばれる関係を生かしていけば、新しい価値が生まれるんでしょうね。


■ 民宿のおかみさんは遍路の母=民宿観音菩薩さま

夏、冬は客の数も少ないので休業してしまう宿もある中で、一人でも宿泊者があれば(貴山のこと)営業してくれる民宿には頭が下がります。大体が小規模で兼業。こういう宿のおかみさんは遍路が好きで、その宿を守る使命感に燃えていて話好きです。何でも相談に乗ってくれるし助けてくれる遍路の母です。私は密かに「**民宿観音菩薩」と名付けて、よく話し込みました。彼女たちが見てきた遍路の姿に、昨日の私や明日の私がありそうな、いろいろな人生の様子が伺われます。


■ コンニチハの声をかけながら歩く

農、山、漁村を歩く時には、コンニチハの声をかけながら歩きます。相手が子供達であれば、大きな励ましの声が、大人であれば優しい笑顔の会釈がかえってきます。私が様々な好意(お接待)を受けたり、お話を伺えたのは、多くはコンニチハがきっかけです。まことに、心を込めた挨拶こそが人間関係の出発点ですね。
ただ都市部は難しいですね。声を出しても、会釈しても、あまり反応はありません。私だって大都会に住んでいて、ご近所の方とさえ中々挨拶できないのですからね。このことは昔ながらの共同体的人間関係の喪失という、現代社会の根本問題に関係するのでしょう。
いずれにしても、四国の遍路道には昔ながらの挨拶関係が残っていることに感銘します。


■ お接待への感謝は私製のカード

お接待をいただいた時には、お寺へおさめる札(ふだ)に自分の名前を書いて差し上げる習わしといわれますが、あまり受け取って貰えません。そこで釈尊のお言葉や弘法大師を讃える和讃(わさん)をプリントした葉書大のカードを差し上げました。「いろは歌」「法悦歓喜のご和讃」「布施」「諸行無常」「煩悩」「般若心経現代語訳」などこのホームページの「薫の葉書」や「本」で紹介しているようなものです。これはかなり興味を引いて、断る人はありません。さらに話題が発展して、坐り直すこともしばしばでした。


■ 「へんろみち保存協力会」は菩薩行(ぼさつぎょう)の実践

松山市に事務局をおくボランティア団体で、四国全域の歩く遍路道の保存活動を行っています。廃れた道の再開発、道案内の石碑の設置、迷いやすい分岐点への目印シール貼付など。
とりわけ「四国遍路ひとり歩き同行二人」(全二冊)という同会発行のガイドブックには、遍路の作法、心得、携行品、費用、足のマメ治療法、歩く為の地図、札所のお寺、沿道にある番外の神社仏閣、宿泊施設、など全情報が記載されています。すべての項目について地元の会員が自分の足と目で集めた情報ですから、実際に自分で歩いていくと、痒いところに手が届くように実用的です。ここにも菩薩の実在を疑いません。
貴山はこのガイドブックだけで全コースを歩けました。第一番札所の霊山寺(りょうぜんじ)をはじめ主要な札所であつかっています。お遍路を歩き始める時には、まずこの本を求めましょう。


■ おわりに

四国のお遍路コースを世界遺産に、というキャンペーンを見かけました。世界遺産とは人類の国宝ということでしょうから大変結構なことだと共感し、署名も募金もしてきました。大事なことは、何をもって宝にするかだと思います。弘法大師空海と同時代に比叡山延暦寺と天台宗を開かれた伝教大師最澄(でんきょうだいし さいちょう)さんは次のように言われています。

『国宝とは何ものぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす』

道心とは真実の道を求める心です。人生の正しい道を求める心こそが国宝なのです。バスツアーでも、自家用車でも、徒歩でも、野宿でも、四国を目指すそれぞれの人の体力や都合に合わせればいいのですが、真実の道を求める心こそは共通の宝としていきたいものです。
貴山薫が初めて出かけただけで、沢山の宝物を見つけました。あなたもまたあなた自身の宝に出会えるように念じています。





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