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ブッダのこころ |
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蓮如―われ深き淵より |
ヨーロッパ文明は、母なる東方社会からいかにして自立するかという親殺しの文明なんです…仏教の源泉は慈悲という思想ですね…「お前がもし罪を犯して地獄に落ちていくんだったら私も何も言わずに一緒に落ちていきましょう」という感情つまり相手に同化していく非合理な情なんです。思わず知らず心から洩れてくるため息。悲しみのため息…仏教の本質は母性的なもので、命を産んでゆく。そう考えてみると、母というのは阿弥陀仏なんです。阿弥陀の光に照らされて、その光に抱かれて浄土に往生する。往生というのは誕生という意味です。[ 本文 ] 蓮如は室町時代、一向一揆の指導者で浄土真宗の組織者といわれます。五木寛之さんの蓮如は、飢餓と戦争と疫病の時代に人類救済の思想を求める求道者です。前進座公演の戯曲。[ カオル ] |
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青い鳥のゆくえ | …最後まで読んでみますと「青い鳥」という作品はメルヘンチックな明るい楽しい物語などではなく、じつは非常に暗くて…絶望的なエンディングをもったお話…人間は希望がなくては生きていけない。しかしいま希望の青い鳥は飛んでいってしまった。じゃどうするか。これは僕の考えなんですけれども、人間は自分の手で青い鳥をつくらなきゃいけない…できあいの縫いぐるみのような希望とか幸福とかは配ってもらえないんだ…動物も植物もヒトの仲間として共生する世界…すべてのモノたちも人間の使用品だけでなく<命>をもった友であったような時代…見えない妖精たちの囁きを感じる想像力[ 本文 ] 「青」が好きです。青臭い。真っ青。青物市場。青空。青春。青写真。青田。青二才。青年。青虫。青雲。青眼。青丹よし。青海原。青信号。もう一度青くなりましょう。[ カオル ] |
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一休道歌―三十一文字(みそひともじ)の法(のり)の歌 |
一休も破れ衣で出るときは 捨て果てて身はなきものと思えども 極楽も地獄も我にあるなれば 心こそ心まどわす心なれ 仏とてほかにもとむる心こそ 世の中の嫁が姑に早やなれば 釈迦といういたずら者が世に出でて 成仏は異国本朝もろともに 門松は冥土の旅の一里塚 [ 本文 ] こんな調子の歌が六五七首満載。一休さんは大徳寺の住職もつとめられた禅宗の高僧です。歌を通じた人間と仏教の探求。[ カオル ] |
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「般若心経」を読む |
この世の一切のものは「空」なるものだとする深い目をもてば一切にこだわる日常がおろかに見え、あるがままに、あるがままのものをそこに見て、何の詮索もなくくらせば、そこに人間本来の安息を招きとることができる、と説くこの経は、私のような凡人の頭を撲りつける高遠な思想である。まことに、理を以てかくときつくされれば、自然と目の前の雲がはれるような気分にもなるのだが、しかし、凡俗の私には、あるがままの存在をゆるす無心、無所得の境地に入ることの難しさが思われてならない。[ 本文 ] 仏教門の左右の柱ともいうべきは般若心経と歎異抄。歎異抄はまだしも口語だし自分なりに解釈できるが、般若心経二六二文字は、文章の論理は分かるが実感がわかない。水上勉さんが大援軍。[ カオル ] |
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良寛物語 | 良寛は貞心尼に抱きしめられたまま「うらを見せおもてを見せて散るもみじ」と吟った…しばらくして「なむあみだぶつ」と囁くような声が漏れ…良寛は貞心尼の胸にこくりと頭(こうべ)を伏せるようにした…棺の中の屍が燃える頃から五色の炎が昇り出した…骨という骨は、なんとまあ、みんな薄紫色の水晶のようにキラキラ光っているではないか。骨の節々はとくに美しく玉のよう…貞心尼はその中の小さいけれど一等美しく紫色に光っている一片を急いで拾い、少しぬくいその珠にそっと口づけしてから懐紙に包んで肌に納めたのであった。[ 本文 ] 山頭火の顕彰につとめ、仏教にも詳しい俳人、大山澄太による「小説・人間良寛の一生」。ふんだんに引用される良寛の言葉とその背景描写を通じて、「自由人の良寛さま」を堪能できる。[ カオル ] |
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法華経の森を歩く | ○私達はこの地球という家の大火から逃げ出すことはできない。大火とも知らずに遊び呆けている自分自身をまず自覚し、この大火を消すにはどのような哲学に立脚すればよいかを、万人が万人の立場で真剣に考える以外にはない。 ○法華経に限らず、仏教に限らず、全ての宗教は、私達無数の苦しむ民衆(菩薩)が安楽に生老病死(しょうろうびょうし=人生ということ)する道を実現することこそが究極なのであり、教団を形成したり教線を伸長させたりすることは常に副次的な結果に過ぎない。[ 本文 ] この本は法華経の一般的な解説書ではありません。生涯の後半を屋久島に住んだ詩人『山尾三省』が法華経の解釈を通じて『宇宙のいのち』を賛美した言葉の数々です。序本(じょぼん=はじめに、ということ)に登場する、『日月灯明如来(にちげつとうみょうにょらい=太陽と月の光明として来たれるもの)』のネーミングから、私達の生の根拠すなわち由来はこの太陽系にあり、太陽系の根本の真理によって実存をくり返しているのだ、と読み込んでゆきます。[ カオル ] |
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尽十方―念仏のうた |
下品下生(げぼんげしょう) 形なき御いのちから生まれ 形なき御いのちに育まれ 形なき御いのちへ還ります 此岸のいのち ここに 咳もでる 笛を吹く ここで むかしは 今は吹いているだけでよいのです。 仏さまのこえ 人さまのことばに じねんに仏さまのこえが 今日 月日はどんどん流れるが あらたな それぞれのいただきもの あの人には 私には [ 本文 ] |
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光明土―念仏のうた |
ゆっくり ゆっくりゆっくりあるくようになり 光っているのをしり あぶない ほんに娑婆ともうすところ 有頂天になりやすい 石のおかげ ここに石があったので われにかえり こんなしずかな [ 本文 ] |
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常照我―念仏のうた |
手ぶらのねんぶつ 阿弥陀さまに遇うのに あるがままの おのずから 白昼夢 一生の果てに あの野道にたつ こころの道 しどろもどろ いくらあるいても [ 本文 ] |
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「煩悩林」「群生海」
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おまえ 七十年も歳月を浪費して 何を悟ったか ハイ 天狗の鼻が折れました猫に小判というが あわれ人間は その小判に眼がくらむ こころのなかの井戸を こつこつと掘り下げて行ったら 底から 阿弥陀仏が出てきたぞうきんは 他のよごれをいっしょうけんめい拭いて 自分はよごれにまみれている青い鳥は大空のどこにもいない 相手の立場になり考えていたら どこからかとんでくる鳥[ 本文 ] 仏教の敬虔な信徒を妙好人といいます。榎本栄一さんは現代の妙好人。信仰する側にとって仏教とは何か。仏教を信じるとブッダは何をしてくれるのか、どんな気持ちで人生を送るのか。詩集です。[ カオル ] |
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「いのち分けあいしもの」
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仏教経典には「無量」という表現がたくさん出てきます。その意味は一般に、量り知ることのできない永遠性や無限性として理解されています。それはまさにそのとおりですが、私の体験をとおして、無量は永遠性を象徴するとともに、他者をこちらの思いで「量(はか)ること無く」あるがままに受容する心であることに気づきました。 無量仏としての阿弥陀仏も、その働きはまさしく「無量体験」をあたえてくださるのです。[ 本文 ] ビジネスマンであり、ボランティアのカウンセラーであり、敬虔な仏教徒である著者の、実践的仏教論。仏さまの救済は無条件。「たのめ、助ける」と私たちをまっていてくださいます。仏さまと一緒に救済を実践するものを菩薩といいます。大須賀菩薩。[ カオル ] |
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