正確には、金剛山金乗院平間寺という真言宗のお寺です。
厄除けで大人気なお寺なわけですが、はじまりは1100年頃の崇徳天皇の時代です。お寺の略縁起には以下の通り書かれています。
「平間兼乗という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを立てていました。(中略)ある夜、ひとりの高僧が、兼乗の夢まくらに立ち、「我むかし唐に在りしころ、わが像を刻み、海上に放ちしことあり。已来未(いらいいま)だ有縁の 人を得ず。いま、汝速かに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、汝が災厄変じて福徳となり、諸願もまた満足すべし」と告げられました。兼乗は海に出て、光り輝いている場所に網を投じますと一躰の木像が引き揚げられました。(中略)その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力をあわせ、ここに、大治3年(1128)一寺を建立しました。そして、兼乗の姓・平間をもって平間寺(へいけんじ)と号し、御本尊を厄除弘法大師と称し奉りました。」
お寺の門を入ってすぐの案内板にはもっと詳しく書いてあって、平間氏という人が領地を与えられて云々と書かれています。興味深い伝承であって、現在のこの寺の隆盛を示唆するようにも思えます。郷里から追い出されて武士をやめて漁師になった人間が、領主となって、自分の名前をつけたお寺を作るなんて、すごいサクセスストーリーです。そもそも普通の人の名前が入ったお寺なんて聞いた事がない。お金の匂いがプンプンします。
ネットで検索して調べていたら、↓こういうのを見つけました。
一方、「新編武蔵風土記稿」は、下平間村に称名寺という寺院があり、ある時、同寺は真言宗から浄土宗に改宗し、このため従来の本尊が不用となった。そこでこれを多摩川へ流すと、河口の漁師が拾いあげ、堂宇に安置して寺号を旧地の村名をとり平間寺とした、との異伝を記している。
こういう伝承は面白いしリアリティがあるんだけど、あんまり残されてないんですよね。長い時間がたつと、聞こえが良くてファンタジーなものだけが残ってしまう。今あるファンタジーな昔話の殆どは、元々は、実際に起きた話か、有名なストーリーが固有名詞を置き換えられて地元に定着したものの、どちらかだと思います。