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人生論 |
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山頭火句集 |
○ けふもいちにち風をあるいてきた ○ ほととぎすあすはあの山こえて行かう ○ 昼寝さめてどちらを見ても山 ○ よい宿でどちらも山で前は酒屋で ○ 春風の扉ひらけば南無阿弥陀仏 ○ 行き暮れてなんとここらの水のうまさは ○ 寝床まで月を入れ寝るとする ○ ついてくる犬よおまへも宿なしか ○ おちついて死ねそうな草萌ゆる [ 本文 ] 山頭火が好きです。孤独だから。自然の中にいるから。俗物だから。酒飲みだから。歩くから。馬鹿にされてもめげないから。半端な僧侶だから。真似できそうで、やっぱりできないから。[ カオル ] |
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葉っぱのフレディ―いのちの旅 |
この本は1998年に翻訳されて大ヒットしました。わたしたちはどこから来てどこへ行くのだろう。生きるとはどういうことだろう。死とはなんだろう。そういうことを思うきっかけの名著として、いつまでも残って欲しい、そんな気持ちで仏教の教えとの関連を考えてみました。 【本文】 体を寄せてみんなでかげを作ろう。暑さから逃げ出してきた人間に涼しい木かげを作ってあげるとみんな喜ぶんだよ。 【薫】 慈悲=じひ=人々に楽しみを与え、苦しみをなくす 【本文】 同じ木の同じ葉っぱでも、いる場所がちがえば、太陽に向く角度、風の通り具合、月の光り、気温、何一つ同じ条件はないんだ。だから紅葉する時はみんな違う色に変わる。 【薫】 色即是空=しきそくぜくう=存在するすべてのものは、周囲との関係によってそのあり方が決まるので、固定的で不変の本来の性質という実体はない 【本文】 82世界は変化し続けている。春が来て夏になり秋になる。葉っぱは緑から紅葉して散る。変化するって自然なことなんだ。死ぬということも変わることの一つなんだよ。 【薫】 諸行無常=しょぎょうむじょう=存在するものはすべて常に変化し続けて止むことがない 【本文】 いのちというのは永遠に生きているの。フレディがおりたところは雪の上です。やわらかくて以外とあたたかでした。ふわふわして居心地の良いところだったのです。 【薫】 涅槃寂静=ねはんじゃくじょう=人生と世界の真理を覚ると心の平安を得られる |
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金子みすゞ童謡集 |
鯨法会 鯨法会は春のくれ、海に飛魚採れるころ。 81浜のお寺で鳴る鐘が、ゆれて水面をわたるとき、 村の漁夫が羽織着て、浜のお寺へいそぐとき、 沖で鯨の子がひとり、その鳴る鐘をききながら、 死んだ父さま、母さまを、 こいしこいしと泣いてます。 海のおもてを、鐘の音は、 4海のどこまでひびくやら [ 本文 ] 人や花や動物や、なにやかんや、周囲のすべてに注がれる金子みすずさんのやさしい気持ちに触れて、私の心が洗われます。みすずさんの感受性に憧れながら日々を過ごしたいと思います。[ カオル ] |
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Little Tern |
この本は、ある瞬間、不意に飛べなくなったリトルターン(コアジサシ)のお話です。リトルターン(コアジサシ)は、先の黒い黄色いくちばしと黄色い脚を持つ小型の水鳥で、カモメの仲間。夏鳥として早ければ3月には本州以南の海、川、湖に飛来して育児。水中の魚を狙う時には、ホバリング(空中停止)とダイビング(飛び込み)の姿が見事です。その印象があまりにも強烈なので、飛べないコアジサシは想像できません。 「ターン」は切れ味のいい飛び方の描写ですが、この作品では飛ぶ能力の「回復」も意味します。翻訳した五木さんは、『これは挫折者の物語、引きこもりの物語...20世紀はカモメのジョナサンが高く飛ぼうとする時代...今は逆に飛べなくなって呆然としている時代...飛べないことで悩んでいる人にこの一冊をそっと手渡したい』といいます。 あなたも私も、人生においては挫折して飛べない時期がきっとあります。そんな時に水辺の林でこの本を広げ、飛ぶ能力を置き忘れた場所を、ゆっくりと思い出しましょう。 |
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介護の悩みQ&A―介護者の心とからだの健康管理 |
もしあなたが、時間的、体力的、金銭的に恵まれていて、親の介護を進んで引き受けようと思っていても、私は「あなたひとりだけががんばってはいけない」と申し上げます。なぜなら、介護する人自身の生活のバランス、そしてその家族全体のバランスが保たれていなければ、よい介護にはならないからです。介護が終わっても、もちろん介護者の人生が終わるわけではありません。その後は、自分の老いと向き合い、生きていかなければならないのです。私はこれまで大切な人が亡くなったあとの喪失感でバラバラになってしまう家族の姿をいくつもみてきました…長年、介護一筋に専念してきた人が生活のすべてのようであった介護を失うと、生活にも心にもぽっかりと空洞が…[ 本文 ] 介護「問題」の重要テーマ「介護者の心をケア」する書。[ カオル ] |
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男の介護―48歳サラリーマンの選択 |
身も心も疲れ果てた長兄から介護を「受け継ぐ」ことになった。 ……サラリーマンにとって会社を辞めることは辛い。しかし自分自身を見直し、また家族に対する責任などを考え「一年間の休暇と称して退職する。……これまで「今日よりも明日」「もっともっと」と生きてきた。しかし介護されるのは「自分のリズムで生きるしかない」人間である。介護をすることによって、「今現在を生きる」ことの大切さをおそわった。男の介護は自分自身や「生と死」を見直す学びの場だった。[ 本文 ] 消費財メーカーでコピーライターでありマーケティングのプロデューサーであった(つまり銀座・赤坂・青山で暮らしていた)男が鹿児島へ帰郷し父親の介護に専念するお話。明日は我が身です。[ カオル ] |
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大往生 | ○老人ホームはお洒落な二枚目のお爺さんを捜しています。素敵なお爺さんがいるだけでお婆さんたちがいいお婆さんになりますから。 ○医者は病気を治そうとする。しかし大切なのは病気を治すことではなく病人を治すこと。 ○患者にとって病気は「私だけ」のものなのに、私たち医者は「あなたたち」という扱いをしてしまう。 ○ここは身よりのない老人たちのための施設です。ところがお年寄りが亡くなると、遺産を受け取りにくる身寄りが現れる。スポーツカーに乗っちゃったりして。 ○葬式は死んだ人のためにやるものではなく、遺族のためにやるもの。だから、遺族の気の済むようにおやりなさい。[ 本文 ] 往生(おうじょう)とは「死ぬ」ことではありません。「往(い)きて生きる」ことです。あなたはどんな世界へ往きますか。[ カオル ] |
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癌告知のあとで―私の如是我聞〈9〉 | ○ 私の思慮分別では どうにもならぬことは おまかせしようと選んでいましたら みんな みんな おかげさまとの 二人三脚でした ○ 道に迷ったら たちどまって 道を知っている人に 尋ねるのが一番 そのうちにと思っていると 日が暮れてしまう ○ 転移を告げられて ふと 末期の痛みに恐怖が走った その時 如来様 だれもが死んでゆけた お前も必ず死んでゆけると 励まして下さった だれもが死んでゆける 例外者なしが 安心……[ 本文 ] 四十六歳主婦、手術に成功すれば三年間の生存率五十%という通知を受けてからの記録です。自分、家族、仏さまのこと。[ カオル ] |
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宗教をどう教えるか |
教育とは教え込むことではない。ともに学ぶ姿勢が大事なのだ、といった異論も出そうです。しかし、この問題だけは、自然に身につくとか、子供の興味にまかせておくということではすまされません。深い目覚めが本人次第なことはもちろんですが、先人の教えなど、知識はしっかり伝えるべきです。 人生の先輩として、教師が語るべきことも多いはずです。 そうでなければ、怪しい世界に迷い込む若者は今後も減らないでしょう。[ 本文 ] 学校のお昼ごはん、子供達に、手を合わせて「いただきます」「ごちそうさま」と言わせる事は宗教行為だから憲法違反ですか。朝日新聞「こころの時代」編集長が問いかける学校での宗教教育の推進です。この本を読んだ後、今度は「家庭での宗教教育」を考えてください。[ カオル ] |
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花ひらく心ひらく道ひらく |
光と闇 光だ 光だ という人には いつか光が射してくるし 闇だ 闇だ という人には いつまでも闇が続く 一切無常 散ってゆくから 美しいのだ 毀れるから 愛しいのだ 別れるから 深まるのだ 一切無常 それゆえにこそ すべてが生きてくるのだ 花仏人 うつろいやすきを花といい つねにいますを仏といい かなしきを人という [ 本文 ] 坂村真民さんの詩はチョット元気がよすぎて、背筋をスッと伸ばして、真直ぐ前を見つめて、精神的に品行方正な優良児という印象でした。例)『あなたと歩いていると、もろもろのものが 相寄ってくる 山も鳥も 遠い雲までも 近づいてくる 天地一ぱいの 広々とした 豊かな心 になってくる』。でもこの詩集は、情けない私や泣きたい私やおバカさんの私をそのまま引き取ってくれます。へええ、という思い。このように編集された『いふ企画の大熊初恵さん』て、きっとすてきな人です。[ カオル ] |
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平成娘巡礼記―四国八十八カ所歩きへんろ |
○自分は東京生まれ、ことし大学を出たところで、ごぜ三味線の心を知りたくてへんろの旅を続けている。 ○『ま、歩いとると、何もかも忘れて、自分がナンボのもんか見積もりがでける気がする』という野宿の青年は、若いアメリカの女性が野宿しながらへんろしているー。まるで嘘みたいな話を追っかけて、足早に国道を南下していった。 ○タケさんは百八日間歩き続ける予定で、今日が六十五日目。歩き終わってからのことは未定、というより、彼には帰る家がないのだ。うつ病からアルコール依存症になり、自殺未遂を繰り返した末、精神病院に入院。家族にも愛想をつかされた。退院したその足でへんろに出発・・・あるとき、こだわりをすべて捨て、気持ちを外にむけようと決めた。もう自殺するつもりはないという。 ○お隣のおばあちゃんがお稲荷さんやらちらし寿司をつくって持ってきてくれた。私に出来るお礼も無財の七施の一つ、和やかな顔を見せること和顔施(わげんせ)と三味線しかない。ごぜさんもこんな風に、たくさんの人に助けられ、感謝してうたいながら旅していたのだろう。 ○ひきこもり症候群の百万人の若者たちよ、四国へ歩きにいらっしゃい! ○へんろ道は例えようもないくらい、たくさんのものを私に与えてくれた。ただただ、与えられつづけた旅だった。 [ 本文 ] 月岡さんはごぜ三味線の演奏家です。ごぜとは盲目の門付女芸人のことで、かつては諸国をまわり、家の前で三味線を弾いて、唄ってお金をもらったということです。その、ごぜの心を知るために、月岡さんは四国のへんろ道を歩きます。2002年の10,11月に40日間で四国へんろを結願(けちがん・歩き通すこと)された方からのご紹介で知った本です。 ○へんろ経験者は、その時の有り難かった気持ちを思い出すでしょう。 ○へんろ予定者は、何ものにも勝る「心のガイド」に出会うでしょう。 ○へんろに憧れる人は、すぐにへんろの気持ちになれるでしょう。 ○へんろに関心ない人も、人はこんなに優しかったんだ、と思うでしょう。 へんろ経験者である私には、共感することたくさん、目を見張ることたくさんあって、また歩き出したくなる本でした。月岡さんはルポライターの才能もあるようです。着眼、聞き出し、文章表現力。そしてきっと、月岡さんの三味線を聞いていると、優しく柔らかな気持ちになって、自分を語りたくなるのでしょうね。どなたか、ごぜの月岡さんが四国をへんろしている噂を聞いたら教えてください。数軒のお寺だけでもおっかけでご一緒したい気持ちです。[ かおる ] |
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笑顔の大家族このゆびとーまれ―「富山型」デイサービスの日々 |
○痴呆のおばあちゃんが「家」と言うとき、それは実家を指している。親の愛情につつまれていた頃の古里の優しさが頭から離れない。 ○キヨさんはここへ手伝いにきている、仕事に来ていると思っている。 ○痴呆老人が目的もなく徘徊すると言われるが、お年寄りが動き回るのは何か目的があるから、とりつかれたように早く歩くのだ。ただ自分がどこへ行きたいかを説明できないだけだ。 ○お年寄りを知らない四才の子供が言った。『怪獣がきている』『ええ?』『だって歯を出したり入れたりしている』 ○このことは最先端でもなんでもなく、お年寄りや子供たちが同じ屋根の下で一緒に過ごす、昔からの日本の文化だと思っている。 ○目の前で困っているお年寄り一人救うことに全力投球することが「このゆびとーまれ」の使命である。ニーズがあって活動し、あとで制度がついてくるのだ。 [ 本文 ] 平成5年に民営デイケアハウスを開設した惣万佳代子(そうまん・かよこ)さんが月刊「ナーム」に連載したエッセー集。文筆家志望時に書かれた短編小説も収録。300ページが一気に読めてしまう、楽しく軽やかな筆です。子供、障害者、高齢者の介護は現代社会の人間関係上の最大課題であると言っていいでしょう。誰もが介護する立場であり、またされる立場でもあり、自分の問題として真っ正面から取り組む以外にはありません。惣万佳代子(そうまん・かよこ)さんたち3人の看護婦が「畳の上で死なせてあげたい」という気持ちで始めたデイケアハウスの10年の新しいことずくめの日々がつづられ、ドキドキしながら読み進むと、知らず知らずに介護現場の人間たちの情景が浮かんできます。重いテーマを軽々と持ち上げてみせる惣万さんは、なんと力持ちでしょうか。[ かおる ] |
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放哉という男 |
「人をにくむ心を捨てて豆の皮むく・にくい顔思い出し石ころ蹴る」という句を作ったこともある。まったく、石ころのように知性も人間性もない男だった。本当に石ころならば下駄の先でウンと蹴飛ばしてやりたいのだ...。だがそんな昔のことにいつまでもこだわっていてはいけない。一切を捨ててきた自分ではないか。愛憎も...恩讐も...すべての人間的イザコザの世界を出て大きな自然のふところに入ろうと念願している自分ではないか。「人をにくむ心」そんなものが少しでも自分の心の中にまだ残っているとしたならば、それはさっさと捨ててしまわなければならない。彼はそう思いながら豆の皮を剥く。[ 本文 ] 脱ビジネスマンで自由律俳句の巨人、尾崎放哉(ほうさい)の師匠、萩原井泉水による伝記的放哉俳句論。人間の心はここまで透明になれる。[ カオル ] |
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幸せに生きるためのヒント |
人のできない特殊な修行の結果、すばらしい心を悟ったように思うのは錯覚だと気がついた。それまで、修行したら一般人より上等な人間になるものとばっかり思っていたのだ。しかし、どんな人の心にも備わった尊さを発見したのが釈尊の悟りだった……他人と違う特殊な体験など一点もない。誰もがそこから起こり、誰もがそこに消えてゆく。誰もそれがなければ瞬間も存在できないような、普遍的事実だけが私たちを貫いている。[ 本文 ] 著者は在家(お寺の生まれではないということ)出身で純粋に信仰から仏教の道へ入った禅宗の僧侶。茨城県の霞ヶ浦湖畔(つまり不便な場所)に座禅道場を構えていて、一般人(熱心な仏教徒だが既存のお寺には関係が薄い)の尊崇者が多い。凄い説得力です。[ カオル ] |
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人生に迷ったときのヒント | 年をとって、社会の一線を降りる人にも、もう一つ新たな仕事があるように思う。これからが本当の世界への報恩行だ。余生をそんな気合いで生きた人の死に様には、安らぎがある。願わくば自分の人生に最後まで気を抜かず無事着地してもらいたいと思う…相手が暴力をふるってきたら、こちらも見事にやり返すことで自分のプライドが立つように思っている。しかし、どんな暴力も結局は動物以上のものではない。知性の低さの産物である。暴力に対して暴力で応じない対処の仕方を考えてゆくところに人間の英知が現れる。…努力しているのに成功せぬという者がある。大半は己の才能を過信しているだけ…どんな小さなことにでも幸せを見い出してゆける心を持てることなのだ…今ここに生きていることを素直に喜べる人ほどの幸せ者はない…[ 本文 ] |
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今日もにこにこきよこさん―介護のうた | 60才の定年退職後にご両親の介護に専念された男性のエッセーと詩集です。お父上は肺気腫87才で、お母上は痴呆症90才で、亡くなられました。介護する側される側、誰もが、避けて通れない課題として、受け止めていくしか道はないのです。著者の横戸喜平治さんは普通の人です。その体験も特殊なものではなく、身近にありそうな事例ばかりです。その心は「人が老いること。生き、死ぬこと。人様に生かしてもらうこと。また、痴呆症は自分の非を認めない病気であること。病気だから非を責めても無駄で、かえって悪化させるだけであること」を学ぶという、まっとうな心がけです。ところで普通の人が、身近にある事例で、まっとうな心がけで、なされたことに、貴山は大いに感動しました。それは、横戸さんは、ご両親やご家族やご関係の人々に対する学ぶ気持ち、感謝の気持ちからすべてを考えようとされるからです。周囲の人々の幸せのなかに自分を見いだしていこう、という菩薩の心をお持ちなのです。だから横戸さんの個人的体験が「普遍性」を持って(読み手である私の自分の問題として)伝わってくるのです。著者は山形県出身で、中学時代に無着成恭さんと出会われたご縁で、この本が出版されました。尊敬する無着さんがまた一段と大きく感じられました。[カオル] |
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遺愛集 東京美術選書〈9〉 |
世のためになりてしにたし死刑囚の 眼はもらひてもなきかもしれぬ身に持てる優しさをふと知らされて 神の賜はる生命と思ふ今のわれあるを思はず生かされて 愚かさの果ての幸を知るなり[ 本文 ] 人間の死亡率は100%。これは経験的事実です。みんな死にます。私だけ永遠に生き続けるとは考えられません。生まれた途端に死を目指して歩き始めています。だから死を前提とした人生(人が生きること)を考えましょう。死刑囚として三十三歳の生涯を終えた島秋人さんの歌から、あなたは何を考えますか。[ カオル ] |
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ガーンディー聖書 | アヒンサー(博愛)とは生物を殺害しないことだけを意味するのではない。ヒンサー(残忍)とは怒りにより、利己心に駆られ、或いは害を加える目的で、他人に苦痛を与え、又はその生命を損することを意味する。かようなことを自制するのがアヒンサー(「ア」は否定の意味)である。 どんな人でも、救われないほどの悪人ではない。 どんな人でも、悪人なりと誤認した人を殺す権利を持つほど完全ではない。[ 本文 ] 仏教で説かれる「慈悲」は無条件の愛、ゆるし、救いを意味します。無条件とは、時、所、場所をえらばない「いつでも、どこでも、だれにでも」。インド本来の人間思想の深さに感動します。[ カオル ] |
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