TOP
トップブログ遍路美術館

奈義町現代美術館

(2002年12月25日最終更新)

概要

猛烈に行きづらい美術館です。時間がかかる上にバスの本数がありません。しかも、主な展示品というか、展示室は3つしかないですが、それでも行く価値はあると思います。東京から新幹線で行くんだったら、津山駅近くの宿で一泊するしかないですね。飛行機で行くのだったら、出発日に訪れる事も可能です。
磯崎新プロデュースのもと、荒川修作+マドリン・ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛子がそれぞれ「太陽」「月」「大地」をテーマに空間そのものを創作しています。


美術館URL:
http://www.town.nagi.okayama.jp/moca/
行き方

※以下の「所要時間」は、接続がうまくいった場合です。
JR岡山駅→(JR津山線)→津山駅→(バスないしタクシー)→美術館 [所要時間100分]
JR新大阪駅→(特急スーパーはくと)→智頭駅→(タクシー)→美術館 [所要時間160分]
岡山空港→(リムジンバス)→津山駅→(バスないしタクシー)→美術館 [所要時間100分]


連絡先

TEL: 0868-36-5811,〒708-1323 岡山県奈義町豊沢441

写真(敬撮影)

クリックすると大きな画像が出てきます。前日に入って、津山駅近くの宿に泊まりました。津山は、寅さんの「男はつらいよ 紅の花」やNHK連続テレビ小説「あぐり」のロケ地としても有名なところです。
町のキャラクターとして「ごんご」(河童の事)を採用していて、あちこちで河童を見ることができます。
(2002年09月)

クリックすると大きな画像が出てきます。カエルも。
(2002年09月)

クリックすると大きな画像が出てきます。ここは津山の鶴山公園(かくざんこうえん)。何もない所でした。
(2002年09月)

クリックすると大きな画像が出てきます。美術館の入口を入ってすぐ。
(2002年09月)

クリックすると大きな画像が出てきます。私は、さまざまな「うつろひ」の彫刻を、さまざまな異なる空間につくってきたのですが、この彫刻をつくるきっかけとなった最初のドローイングでは、虚空に線を描くかのように、のびのびとした自由な魂――中国語でいう「気」を表したいと願ったのでした。古代の中国人は、万物は「気」によって構成されると考えていたようですが、この思想を体系的にまとめたものとして「准南子」天文訓があります。これには、最初に虚空があり、虚空のうちに宇宙が生まれ、宇宙のうちに「気」が生じ、「気」のうち、軽くて透明なものはうすくたなびいて天となり、古く濁ったものは、沈み固まって地となり、陰陽二気が生じ、そこから万物が生成されていくと、説かれています。彫刻というもののもつ重々しさから離れて、鳥の飛翔のように自由なものを作りたいと願い、私は、奈義の地と水との関わりを主眼としたいと思っています。宮脇愛子
(2002年09月)

クリックすると大きな画像が出てきます。宮脇愛子といえば、現代美術館の入口には必ずといっていいほど設置されています。私はあまり好きじゃなかったんですが、ここの作品にはとても魅力を感じますね。
(2002年09月)

クリックすると大きな画像が出てきます。うつろひ

霊(たましい)は、
水さながらに
天から降りて
天にのぼり
そして、また
地にくだる
はてしなくめぐりめぐって

ゲーテ「水の上の霊の詩」
(2002年09月)


クリックすると大きな画像が出てきます。この展示室にいると、楽器の内部にいるみたいで、とても気持ちいい。
(2002年09月)

クリックすると大きな画像が出てきます。HISASHI―補遺するもの

休息のためにHISASHIとベンチが与えられたとせよ。岡崎和郎
(2002年09月)


クリックすると大きな画像が出てきます。荒川修作+マドリン・ギンズ「偏在の場・奈義の龍安寺・建築的身体」は抜群に面白い。
※原題は「偏在の場・奈義の龍安寺・心」。1997年に現在のタイトルに改題。
(2002年09月)

クリックすると大きな画像が出てきます。 偏在の場・奈義の龍安寺・建築的身体

今から一億年のイベントに向かってここに進み入りましょう。
「始まり」「過去」「未来」「私が」「私に」そして「あなた」はここではすべて意味がありません。それらは一億年という過程にとっては余分なものです。永遠とは化石じみた愚かな夢あるいは解釈です。不死とは無論まったく別物です。どのようにして死から逃れるかを知るために、<偏在の場・奈義の龍安寺・心>へと入りましょう。不均衡な均衡状態の中で肉体は磁気を帯びたように動き、人は肉体を離れてアイデンティティを得ます。シンメトリーがアイデンティティに取って替わるでしょう。シリンダーの中ではそれは可能であり、事実、そうなのです。
シリンダー内には、かつて肉体が動作を制御していたようなものは何もありません。
あなたはシリンダーの中に入っていく、しかし、もしあなたが動作をつかさどる肉体として入っていったのなら、途端に無に帰するでしょう。一度均衡状態が崩れると、おそらく同じようにシリンダーによってしか、それを回復することはできないのです。
シリンダー内には一度にたった一人――もし二人が本当に一つに成り得るならたぶん二人――しか入れません。シリンダーは人の領域を拡張するのです。
シリンダー内では肉体が、かつてないほど完璧に環境の中の存在として人間を認知させます。肉体はシリンダーあるいはシリンダーのシンメトリーに対して自己を失います。シリンダー内のすべての物体、あらゆる面、さまざまなズレが、かわるがわる、肉体によって自己を導きます。
人間がつくりだした世界と完全に適応する自分を見つけだすとは奇妙なことですが、さらに奇妙なのは、来館者がこのシリンダーの中に入ると肉体があやつり人形のようになってしまうことです。例えば、シリンダーの壁に固定された岩は、訪問者の内部に表われた目に見えぬ岩のイメージよりもさらに身近に感じられるのです。
前室を通って生理的にも精神的にもほどよく疲れた後、訪問者は形も時間も自分自身へとうねり返ってくるカプセルの中へ、階段を登って入り込みます。そこには大きな今のほか何もありません。
大きな今において肉体をつかさどるのは、シリンダー内のあらゆるものと、初めてシリンダーへと導いてきた肉体を構成するすべての要素とのアマルガムであり、人はすべてを新鮮に感じる永久のバージンとなるのです。永久のバージンにとって先立つ龍安寺は存在しません。このシリンダーの庭がオリジナルなのです。シリンダー内のものはすべて、ごくありふれた、この上もなく身近なものなのに、シリンダー内で動くと誰も新鮮でオリジナルな永久のバージンになるのです。
シリンダー内には新たなものなど何もないのに、どうして大きな今や永久のバージンが浮かび上がってくるのでしょう? 位置がすべてなのです。あらゆる知的なイメージ操作と建築的なイメージが、そしてシンメトリーだけがこの状態をもたらすに違いないという強烈な直感的洞察を養いつつそれと共生してきましたが、今、大変うれしいことに、本当にそうだということに私たちは気づくのです。
距離感を喪失させるために補色が天井と床に用いられていますが、「大きな今」は補色的な色使いに、それぞれが自己を必ず発見するというより大きな役割を与えるのです。

荒川修作+マドリン・ギンズ
(2002年09月)


クリックすると大きな画像が出てきます。ここから先は御自分で見てきてください。
(2002年09月)

クリックすると大きな画像が出てきます。
(2002年09月)

トップブログ遍路美術館


COPYRIGHT (C) 2001 fromkiyama.com ALL RIGHTS RESERVED