
御柱祭で有名な長野県の諏訪大社。ひとつの神社と思いきや、4つの神社から構成されています。上社前宮、上社本宮、下社秋宮、下社春宮の4つ。どうやら、これは3つのグループ(「前宮」「本宮」「秋宮・春宮」)にわけることができて、しかも、どうやら3つは全く別グループらしい。あえていえば、縄文民族・大和朝廷・明治政府、にわけられるでしょうか。
諏訪明神の神様は、毎年2月〜7月は「春宮」に、8月〜1月は「秋宮」にいます。田植えと収穫にあわせた、明らかに稲作の神様です。
中でも、私を興奮させたのは「前宮」。前宮に行くと、観光客の受けはあまり良くないようで、ほとんどお客はいませんが、前宮の本質は、近くの資料館に行かないとわかりません。ただの郷土資料館と思ったらそうじゃなくて、前宮は、ミシャクジ神という、おそらくは縄文時代から流れがつながる山の神様を祀っていたことがわかります。

もともとはミシャクジ神という神様を祭った縄文民族がいて、これが守矢一族。守矢はもとは「洩矢」。カタカナでモレヤ一族と思うと、縄文からの先住民というイメージが膨らみますね。豪族の長だったと思います。そこにタケミナカタ(大和朝廷の系統。後の諏訪氏)が攻めてきて、敗れるものの、守矢一族はうまく立ち回り、自らを「神長官」という神官のトップにして、タケミナカタ側を「大祝(おおほおり)」と呼ぶ現人神(あらひとがみ。生神様のこと)に仕立てます。つまり、タケミナカタ一族=諏訪明神=大祝=現人神。守矢一族からは、「神長官」という役職に就く人が出て、その祈祷方法は一子相伝。大祝には、成年前の幼児が即位し、即位(=神様になる)の為の神降ろしは神長官だけができる、という制度です。神様は近くの守屋山からおろします。

神長官-大祝システムは、一時衰退しますが、武田信玄に侵攻された後、逆に、おそらくは統治の道具として、武田信玄の保護によって、このシステムは復活します。
なんだか複雑でわけわからないですが、キーワードは、「縄文民族:弥生民族」「山の神:海の神」「豪族:大和朝廷」「黒曜石」「御神渡り」といったところでしょうか。

非常に複雑なんだけど、諏訪エリアの主神は、整理するとこうなります。
洩矢の神(後の神長官守矢一族)が最初にいた。
→ 洩矢の神が、出雲より侵攻してきた健御名方命(タケミナカタ一族)と衝突、「天龍川の戦」で敗れる。
→ タケミナカタ一族を諏訪明神(大祝)として祀る。洩矢の神は、「神長官」職を創設、祭祀の実権を握る。
→ 明治維新にて、神長官-大祝システムを廃止。生神様がいたら困るから。神主は明治政府から派遣。

こんな驚愕の複雑な宗教エリア、他にない。宗教が栄えたところは、間違いなく経済的な力がある地域なわけですが、信州の盆地になぜそこまでの力があったかというと、諏訪湖からの収穫、盆地としての米の収穫、交通の要、という視点はさておき、もっとも重要なのは、黒曜石の最大産地だった、というところだと思います。古代日本では、矢じり等に用いられる黒曜石がその後の鉄のような役割だったわけで、相当な富の集積があったのではないでしょうか。
それにしても、信仰心の強いエリアで、その背景の一つには、「御神渡り(おみわたり)」があると思います。氷の膨張によって湖の氷面に大きな亀裂が走る現象です。大音響とともに、毎年、冬のある時期、突然、諏訪湖の氷が一気に割れるというのは、神様が通ったとしか思えなかったのではないでしょうか。

こういう歴史があると、ふつうは、大祝、神長官への地元の信仰が残っているはずなんですが、ほとんどその名残は見られません。日本の宗教は、明治維新の前と後で大きく変容してしまった、ということがここでもわかります。日本を旅していて、日本には、荒削りだけど、なんだか魂を鷲掴みにするような、自然と共存するモノが、明治維新前はすごくたくさんあったみたいだ、と感じることが多いです。

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