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諏訪大社

(2009年12月7日最終更新)

概要

御柱祭で有名な長野県の諏訪大社。ひとつの神社と思いきや、4つの神社から構成されています。上社前宮、上社本宮、下社秋宮、下社春宮の4つ。どうやら、これは3つのグループ(「前宮」「本宮」「秋宮・春宮」)にわけることができて、しかも、どうやら3つは全く別グループらしい。あえていえば、縄文民族・大和朝廷・明治政府、にわけられるでしょうか。
諏訪明神の神様は、毎年2月〜7月は「春宮」に、8月〜1月は「秋宮」にいます。田植えと収穫にあわせた、明らかに稲作の神様です。
中でも、私を興奮させたのは「前宮」。前宮に行くと、観光客の受けはあまり良くないようで、ほとんどお客はいませんが、前宮の本質は、近くの資料館に行かないとわかりません。ただの郷土資料館と思ったらそうじゃなくて、前宮は、ミシャクジ神という、おそらくは縄文時代から流れがつながる山の神様を祀っていたことがわかります。

もともとはミシャクジ神という神様を祭った縄文民族がいて、これが守矢一族。守矢はもとは「洩矢」。カタカナでモレヤ一族と思うと、縄文からの先住民というイメージが膨らみますね。豪族の長だったと思います。そこにタケミナカタ(大和朝廷の系統。後の諏訪氏)が攻めてきて、敗れるものの、守矢一族はうまく立ち回り、自らを「神長官」という神官のトップにして、タケミナカタ側を「大祝(おおほおり)」と呼ぶ現人神(あらひとがみ。生神様のこと)に仕立てます。つまり、タケミナカタ一族=諏訪明神=大祝=現人神。守矢一族からは、「神長官」という役職に就く人が出て、その祈祷方法は一子相伝。大祝には、成年前の幼児が即位し、即位(=神様になる)の為の神降ろしは神長官だけができる、という制度です。神様は近くの守屋山からおろします。

神長官-大祝システムは、一時衰退しますが、武田信玄に侵攻された後、逆に、おそらくは統治の道具として、武田信玄の保護によって、このシステムは復活します。
なんだか複雑でわけわからないですが、キーワードは、「縄文民族:弥生民族」「山の神:海の神」「豪族:大和朝廷」「黒曜石」「御神渡り」といったところでしょうか。

非常に複雑なんだけど、諏訪エリアの主神は、整理するとこうなります。
洩矢の神(後の神長官守矢一族)が最初にいた。
→ 洩矢の神が、出雲より侵攻してきた健御名方命(タケミナカタ一族)と衝突、「天龍川の戦」で敗れる。
→ タケミナカタ一族を諏訪明神(大祝)として祀る。洩矢の神は、「神長官」職を創設、祭祀の実権を握る。
→ 明治維新にて、神長官-大祝システムを廃止。生神様がいたら困るから。神主は明治政府から派遣。

こんな驚愕の複雑な宗教エリア、他にない。宗教が栄えたところは、間違いなく経済的な力がある地域なわけですが、信州の盆地になぜそこまでの力があったかというと、諏訪湖からの収穫、盆地としての米の収穫、交通の要、という視点はさておき、もっとも重要なのは、黒曜石の最大産地だった、というところだと思います。古代日本では、矢じり等に用いられる黒曜石がその後の鉄のような役割だったわけで、相当な富の集積があったのではないでしょうか。
それにしても、信仰心の強いエリアで、その背景の一つには、「御神渡り(おみわたり)」があると思います。氷の膨張によって湖の氷面に大きな亀裂が走る現象です。大音響とともに、毎年、冬のある時期、突然、諏訪湖の氷が一気に割れるというのは、神様が通ったとしか思えなかったのではないでしょうか。

こういう歴史があると、ふつうは、大祝、神長官への地元の信仰が残っているはずなんですが、ほとんどその名残は見られません。日本の宗教は、明治維新の前と後で大きく変容してしまった、ということがここでもわかります。日本を旅していて、日本には、荒削りだけど、なんだか魂を鷲掴みにするような、自然と共存するモノが、明治維新前はすごくたくさんあったみたいだ、と感じることが多いです。




アクセス


前宮と本宮:長野県の茅野駅から歩いて行くと1時間ぐらい。 春宮と秋宮:下諏訪駅から歩いて30分ぐらい。

写真


茅野駅から前宮まで歩いていく途中の横内笠地蔵。いくらなんでも重たいんじゃないかと。ボクサー並みの首の強さ。
( 2009年11月 )

その隣のお地蔵さん(多分)。
( 2009年11月 )

本宮に対して「前宮」という名称は、地理的なことではなく、もともとあった、という意味だと考えられています。祭神は「建御名方命(たけみなかたのみこと)」(オオクニヌシの子供でタケミカヅチによって諏訪に追い詰められた神様)と、「八坂刀売命(やさかとめのみこと)」。なんと、この前宮の奥がこの二人の神様の墳墓とされています。
( 2009年11月 )

この後、諏訪地方で100回ぐらい見ることになる御柱。神社本殿の四隅に置かれています。
ちなみに、前宮から(途中に守矢資料館を通って)本宮へ歩いて行く場合は、とってもわかりにくいけど、鎌倉道っていう山道があります。
( 2009年11月 )

御柱は、この写真のように、集落のはずれにある小さい祠とかにもあって、とにかくどこにでもあります。そういう小さい祠の御柱は、やっぱり小さくて50cmぐらいの高さとか。この柱の役割はよくわかっていないのですが、やっぱりミシャグチ神への信仰からきてるのかな。
( 2009年11月 )

ここが最高に刺激的な「神長官守矢資料館」。最近の建物ですが、建物としても美しいし、すごく雰囲気にフィットしてる。
( 2009年11月 )

資料館に展示。「耳裂の鹿」。奉納した鹿頭の一頭だけ、神の矛によって耳が裂けるといいます。江戸時代に流行った、ここが発行していた「鹿食免(この護符を受けると動物の肉を食べても罰にならない)」からしても、すごい狩猟民族っぽいでしょ。
( 2009年11月 )

資料館の敷地内にあります。「ミシャグチ神」を祀る神社。「みさく神」「御左口神」と書いたりもします。木が御神体になって、山から神様がおりてくるそうです。2種類の鉄の鈴(ひとつが「左奈伎(さなぎ)の鈴」)と陰陽石が神器。
近くの集落の墓地の看板に「御柱年の埋葬は神長官守矢家による『買地ノ式』に従った特殊な引導の方法が行われていた。」と書いてありました。詳しく知りたい。
( 2009年11月 )

本宮。こちらはもう普通の神社です。
( 2009年11月 )

本宮の狛犬。
( 2009年11月 )

秋宮の狛犬。
( 2009年11月 )

秋宮四之御柱。
( 2009年11月 )

春宮。春宮は扱い薄い。秋宮より駅から遠いからかな。
( 2009年11月 )

春宮のすぐ近くの「万治の石仏」。それはそれで素朴の趣なんですが、たくさん観光客が来てて、石仏前で「万治の石仏ケータイストラップ」まで売ってて、???、と思ったら、「みのもんたの朝ズバッ!で首が伸びる!?と紹介!」というのぼりがいくつも立ってました...
( 2009年11月 )

諏訪湖湖畔。すごく気持ちの良い道で、この日は山に挟まれた富士山が良く見えました。山に挟まれた富士山がよく見えるというのも、この地の信仰が篤いひとつの理由だと思います。
( 2009年11月 )




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